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2020.11.06

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回想 それぞれの世界選手権 第4回〈全6回〉 早田ひな(2017年8月号から)

  • チームスタッフの松崎太佑さん(左)、石田大輔さん(右)と

昭和22年創刊、800号を迎えたニッタクニュースのバックナンバーから編集部がピックアップしてお届けするページです。

 

2017年世界選手権デュッセルドルフ大会(個人戦)に、日本代表として出場した石川佳純森薗政崇伊藤美誠早田ひな田添健汰佐藤瞳の各選手が大会を振り返る「回想 それぞれの世界選手権」。
第4回は早田ひな選手です。
中国のペアとの戦いを振り返り、その強さの理由を分析します。
*所属・年齢は当時のままです。
*ここに紹介の記事は、本誌記事を一部抜粋、編集しています。文中敬称略
本誌記事ページはこちら!

 

もう一人の2000年生まれ

2000年に生まれた「ミレニアム世代」。そして誕生日が、7月7日。なんと縁起がいいのだろう。持っている、という言葉が良く似合う。世界選手権初参加、伊藤美誠(スターツSC)とのダブルスで3位入賞を果たした。

祖母、姉の影響で始めた卓球。負けず嫌いの性格もあって、他人よりも数倍の努力を怠らない。恵まれた体格に、天性の才能、それに努力が加わる。そして卓球を始めたのが名門・石田卓球クラブ。日本を代表する選手になることは予想されたことだった。

 

まさかの落とし穴                         
昨年末に行われた世界ジュニア選手権で団体優勝、続いて行われた1年間のワールドツアーチャンピオンを決める「グランドファイナル」では、アンダー21、女子ダブルスで優勝。色白の左腕は海外の地で躍動した。
しかし落とし穴が待っていた。年末の激戦の疲れもあってか、膝を痛めてしまい、それを抱えたまま年明けの全日本選手権に出場。思ったようなプレーができず、早々に敗退。膝痛はさらに悪化、練習時間も制限されてしまう。
全日本選手権後に、代表初選出が決まる。予想していなかっただけに、喜びは隠せなかったはず。

 

世界選手権ではあまり緊張しなかったという早田選手。試合中には笑顔も見せた。

 

大きかったアジア選手権の経験
「伊藤選手と初ペアを組んだアジア選手権は、世界選手権と(同等ではないが)雰囲気が似ていました。お互いに何が得意で、どういうプレーをするか、というのが理解できていたので、突っかかるところがなく、やりやすかったです。 
アジア選手権で試合の経験を積んだことで、世界選手権本番の時の対応ができました。メダルが取れたことも自信になっていたし、すべてが順調だったと思います」
迎えた初の世界選手権。初戦はメインフロアではなく、セカンドフロアでの試合だった。 
「セカンドフロアといっても、ほかのワールドツアーで言うなら、メインアリーナみたいな雰囲気。緊張はしなかったですけど、盛り上がりが凄く、これが世界選手権なのか、という雰囲気だったのを覚えています。2試合目がいきなりメインアリーナで、しかもテレビコート。テレビに映るのは関係なかったのですが、メインアリーナの雰囲気にちょっと緊張しました。でも、その経験があったからこそ、メダルを獲ることができたと思っています」
準決勝の相手は、楽しみだった、と話す、丁寧・劉詩雯(中国)であった。
「8‐8、9‐9、10‐10まではいくんですけど、あと1本が取れない。取らせない、という相手の雰囲気も凄く感じました。そこで点数を取るには、自分の全力というかベスト以上のファインプレーが必要だと感じました。私たちもそうですが、中国選手と対戦している選手のスコアを見て、それが『差』なのかなと感じます」
その『差』とはなんなのか。もう少し突っ込んで聞いてみた。
「0対1の9‐10で、私のサービス。それまでずっと流すレシーブをしてきた劉詩雯が、その時だけ、ハーフロングの、ブチ切れのツッツキをフォアにしてきました。思い切った精神というか、ブチ切ってやろう、という気持ちが私の中に足りない、と思いました。
また11‐10で、私たちがリードしている場面。私がレシーブで、作戦は、丁寧がバックに回り込みそうになったら、フォアサイドにレシーブにいく、という打ち合わせでした。
チキータレシーブをしようと構え、レシーブをする瞬間に、丁寧の動きを見ていても動いていない。よし、バックサイドにチキータレシーブだ、と打った瞬間、待っていました、と言わんばかりに、もの凄い動きで回り込まれて、シュートドライブを打たれました。
この2つのラリーには、衝撃を受けてしまいました。
そして最後。ハーフロングのサービスを出したときに、丁寧は、台にラケットをぶつけてまで、ドライブをしてきました。『絶対に打ってやろう、打たなきゃ勝てない』という執念のようなものを感じました」

 

中国選手との戦いを通して金メダルへの決意を新たにした

 

やはりシングルスに出たかった
早田はダブルスのみの出場。やはりシングルスに出たかった、と話した
「自分が弱いから仕方がないのですが、やはりシングルスにも出場したかったです。同級生の平野美宇(JOCエリートアカデミー)選手、伊藤選手がシングルスに出場していて、悔しかったです。同級生ですが、色々見習う部分がたくさんあるので、しっかりと見習って、私は私、という気持ちで努力を続けていければと思います。
ダブルスの表彰式で、国家斉唱の時。国旗に向けて体を動かしたのですが、丁寧さんの背中に隠れて、日本の国旗を見ることができませんでした。銅メダルを獲得できたのは嬉しかったけど、その時に、やっぱり一番高い場所に立たないといけない、金メダルを取らないといけないと感じました」
今ではすっかりお馴染みとなってしまった膝のテーピング。本人は、痛みはない、と話すが、見ていて痛々しい。しかし言葉を選びながら話す早田選手からは、新しい目標、新しくしなければならないことが伝わってきた。
早田にとって、中国選手、という存在は『最強の強化書』なのかもしれない。

 

次回は11月11日に配信!

田添健汰選手が2017年世界選手権を振り返ります!