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日本卓球(ニッタク)の歴史は1920(大正9)年に遡ります。
1880年代に誕生した卓球の歩みと合わせてご覧ください。
記載情報は2020年1月現在、(凡例)黒字はニッタク、青字は世界の卓球、赤字は日本の卓球の出来事です。
卓球がイングランドで誕生する(1880年代)。
上流階級のローンテニス愛好家たちが雨宿りの間にテニスを食卓で楽しんだのが始まりで、英語名称「TABLE TENNIS(テーブルテニス)」の由来ともなっている。
「ピンポン」の名称は、当時の代表的な“中空の皮張りラケット”で打球するときの響きに由来するという。
ボールはテニスボールに始まり、コルク製、ゴム製のボールが登場したが、技が限られ、ラリーも単調で面白みが少ないために卓球人気は次第に衰退する。
セルロイド製のボールが導入される(イングランド人ジェームス・ギブが渡米、おもちゃのセルロイド球を持ち帰ったのが始まり)。
セルロイド球ならではの心地よい打球感・音、適度なスピードや回転から生まれるラリーの面白さが人気となり、イングランド、ヨーロッパ、世界へと人気が広まる。
イングランドに「Table Tennis協会」と「Ping Pong協会」が生まれる。
イングランドで卓球ゲームに関する最初の本が出版される。
卓球初のトーナメント大会がロンドン・ロイヤル水族館で開催される。
イングランド人 E.Cグッド氏が薬局の釣銭皿のゴムを木のラケットに貼ってイングランドのトーナメントに優勝。これが、卓球用具としてのラバー初登場となる。
東京高等師範学校(筑波大前身)・坪井玄道教授が留学先の英国から用具とルールブックを持ち帰り、「ピンポン」という名称で紹介、日本の卓球元年となる。
坪井教授にピンポンセット試作を依頼された運動用具店「美満津商店」(東京・本郷)店主・伊東卓夫氏は日本初の卓球書「ピンポン」を出版する。
第5回 内国勧業博覧会(大阪)に美満津商店が設けた「ピンポン遊戯場」で行った模範試合が卓球の日本初公開となり、以後、東京・大阪を中心に卓球熱が高まるキッカケとなる。
日本初のトーナメント大会が東京と大阪、各々で開催される。
日本初のピンポン記事が、新聞に掲載される(東京万朝報)。
第一次世界大戦勃発により、ヨーロッパでは卓球が休眠状態に陥る。
「ピンポン」が全国に普及する(東京・大阪・京都・名古屋・神戸他各地に卓球団体が誕生)
「卓球」という名称が誕生する。新聞にも日本で初めて「卓球」の文字が掲載される(東京日々新聞社=毎日新聞社前身)
ニッタクの前身となる『ハーター商会』創業(『中央セルロイド』より引継)。初代社長に向原関一(むこうはらせきいち)が就任する。
所在地は「上野池之端七軒町」。
主に万年筆の輸出販売を手掛けたが、卓球ボールも製造(ブランド名はH標準球)
日本初の卓球統轄組織「大日本卓球協会」が大阪に誕生、設立と同時に日本最初の統一卓球ルール(軟式卓球)を発表する。
日本の卓球競技は、国際ルールよりも「柔らかいボール」と「小さな台」を使う『軟式卓球』という日本式の独自ルールで始まる。
第一次世界大戦のため休眠していたイングランド卓球協会は復興に際し、卓球の名称を「TABLE TENNIS(テーブルテニス)」に変更、以来今日まで、これが英語正式名称となる。
日本2つ目の卓球統轄組織「大日本卓球連盟」が大阪に誕生する。
日本初の卓球技術書「卓球術」(鈴木貞雄著・美満津運動具店発行)出版。
第1回 世界選手権をロンドンで開催、ハンガリーが全5種目を制覇する。
国際卓球連盟(ITTF)創立、イングランドのⅠ.モンタギュが初代会長に就任する。
日本3つ目の卓球統轄組織「全国卓球連盟」が東京に誕生する。
当時、日本でもっとも権威のある総合スポーツ大会「明治神宮体育大会(神宮大会)」の第3回大会で正式種目として採用され、卓球がスポーツとして日本社会に認められる。
日本4つ目の卓球統轄組織「帝国卓球協会」が東京に誕生する。
日本がITTFに加盟する。
4つの統轄組織が集まり、日本全国を統一する団体として「日本卓球会」が誕生する(今日の公益財団法人日本卓球協会=JTTAの前身)
第6回神宮大会は第1回全日本軟式選手権を兼ねて行われ、男子・中島正郎(岩手)、女子・山本スミ(高知)が優勝する。
全日本選手権で従来の軟式に加え、硬式(国際式)が正式種目となり、男子・中川武夫(大阪)、女子・保原キヨ(京都)が第1回優勝者となる。
「日本卓球会」の名称を「日本卓球協会」に改める。
世界チャンピオン歴を有するハンガリーのサバドスとケレンが来日、初の国際試合「日洪国際交歓試合」が開催される。
第二次世界大戦勃発。この年を最後に、世界選手権は1946年まで中断する。
満州(中国・東北部)・中国・日本が参加の「東亜競技大会」、米国・豪州・日本が参加の「汎太平洋卓球競技会」を日本で開催、両大会で日本が圧勝する。
太平洋戦争に突入。全日本選手権は1945年まで中断する。
第二次世界大戦終結。
第1回国民体育大会が開催される。卓球も種目に加えられ、戦後初の全日本選手権を兼ねて行われる。硬式で男子・藤井則和(京都)、女子・加藤君枝(京都)が優勝する。
戦後初の世界選手権「第14回世界選手権 パリ大会」が開催される。
「第1回マッカーサー元師杯(全国都市対抗)」が開催される。
「ハーター商会」から「日本卓球株式会社」に社名変更。卓球専門メーカーとして事業を開始する。
ニッタクブランドの卓球ボールを「尾久工場・堀切工場」の2ヶ所で製造(後に呼び名が「荒川工場・葛飾工場」となる)
月刊卓球雑誌『ニッタクニュース』を創刊する(10月)
日本卓球協会がITTFに復帰、他のスポーツ競技団体に先駆けて、日本第一号の国際復帰を果たす。
日本が初参加となった世界選手権「第19回世界選手権 ボンベイ大会」で、7種目中4種目に優勝する。本大会は、アジアで初めて開催された世界選手権である。
従来主流だった一枚ラバーを凌駕して、スポンジ・表ソフト・裏ソフトが台頭、以後主流となる。
アジア卓球連盟(ATTF)が結成され、「第1回アジア選手権」が開催される。
中国が世界選手権に初参加する(「第20回世界選手権 ブカレスト大会」)。日本は不参加。
日本初の世界選手権「第23回世界選手権 東京大会」が開催され、世界20の国と地域から166人が参加する。
「第1回 ヨーロッパ選手権」が開催される。
ラケット「超特選A・P」を発売する。
ITTF2代目会長にH・R・エバンス(ウェールズ)が就任。
東京営業所を「台東区上野池之端七軒町」から「千代田区神田和泉町」へ移転(本社所在地は「台東区上野池之端七軒町」)
ラバー「ゴールデン」を発売する。
創業50周年を迎える。
日本で2回目の世界選手権「第31回世界選手権 名古屋大会」が開催される。今大会が米中、日中の国交回復のキッカケとなり「ピンポン外交」という言葉が生まれる。
ニッタク3スター球が初めて世界選手権大会使用球に選ばれる。
日本卓球協会がATTFを脱退する。
「アジア卓球連合(ATTU)」が結成され、日本卓球協会が加盟。「第1回アジア選手権」が北京で開催される。
ニッタク2代目社長に向原 一雄(むこうはら かずお)が就任。
福岡営業所を開設。
ニッタク3スター球が「第33回世界卓球選手権 カルカッタ大会」使用球に選ばれる。
JTTA財団法人化。
「マッカーサー元師杯(全国都市対抗)」が第30回 福岡大会をもって終了する。
「日本リーグ(実業団)」発足。
「第1回全国家庭婦人卓球大会」が開催される。
ラバー「マジックカーボン」を発売する。
ニッタク3スター球が「第35回世界卓球選手権 ピョンヤン大会」使用球に選ばれる。
全日本選手権に「カデットの部(14歳以下)」を新設する。
名古屋営業所を開設。
全日本選手権に「ホープスの部(小学6年生以下)」を新設する。
ニッタク3スター球が「第36回世界卓球選手権 ノヴィ・サド大会」使用球に選ばれる。
ユニフォーム「ハイプレム」を発売する。
「第1回世界ベテラン大会」が開催される。
「第1回全日本クラブ選手権」が開催される。男子は青卓会(東京)、女子はサンフレンド(東京)が優勝。
仙台営業所を開設。
硬式卓球用支柱「ワンタッチサポート」を発売する。
ラバー専用クリーナー「ラバークリーニングフォーム」を発売する。
「第1回全国ホープス大会」が開催される。
日本で3回目の世界選手権「第37回世界選手権東京大会」が開催される。
ニッタク3スター球が「第37回世界選手権 東京大会」使用球に選ばれる。
全日本選手権に「ホープスミニの部(小学4年生以下)」を新設する(「カブの部」の前身)
「全国家庭婦人卓球大会」の名称を「全国レディース卓球大会」に改める。
札幌営業所、大阪営業所を開設。
カーボンラケット「CP548・CP548JS」を発売する。
ラケット、ラバー「PF4シリーズ」を発売する。
ITTFは「ラバーの色は赤と黒に限定」を決定する
日本卓球協会は、登録会員へのゼッケン配布制度を開始する。
ニッタク3スター球が「第38回世界選手権 イエテボリ大会」使用球に選ばれる。
日本卓球協会は「卓球発展計画プロジェクト」を発足。白いウェア、オレンジボール、ブルーのテーブル、ラージボールの開発を推進する原動力となる。
ITTF3代目会長に荻村伊智朗(日本)が就任。欧米発祥スポーツ競技の国際組織会長への就任はアジア人として初。
全日本選手権に「バンビの部(小学2年生以下)」を新設する。
ニッタク3スター球が「第39回世界選手権 ニューデリー大会」使用球に選ばれる。
月刊卓球雑誌「ニッタクニュース」が創刊以来第400号を迎える(2月号)
第24回オリンピック ソウル大会が開催され、硬式卓球が正式種目に採用される。
「ラージボール卓球」が誕生する。
日本で4回目の世界選手権「第41回世界選手権 千葉大会」が開催される。
「第41回世界選手権千葉大会」で南北コリア統一チームの参加が実現、女子団体で優勝を果たす。オレンジ球、ブルー台が採用された最初の世界選手権となる。
ユニフォーム「リアルユニフォーム・リアルショーツ」を発売する。
ニッタク3スター球が「第25回オリンピック バルセロナ大会」使用球に選ばれる。
ニッタク3スター球が「第42回世界選手権 イエテボリ大会」使用球に選ばれる。
ITTF4代目会長にロロ・ハマランド(スウェーデン)が就任。
ITTF5代目会長に徐寅生(中国)が就任。
月刊卓球雑誌「ニッタクニュース」が創刊以来第500号を迎える(6月号)
シューズ「リカオン」を発売する。
ニッタク3スター球が「ヨーロッパ選手権 ブラチスラバ大会」使用球に選ばれる。
ニッタク3スター球が「第26回オリンピック アトランタ大会」使用球に選ばれる。
ニッタク3スター球が「第44回世界選手権 マンチェスター大会」使用球に選ばれる。
ITTF6代目会長にアダム・シャララ(カナダ)が就任。
ラバー「モリスト」を発売する。
ラージボール用ラバー「スペシャリストソフト」を発売する。
10月1日以降のITTF主催大会で、ボールは従来の直径38ミリから2ミリ大きい40ミリサイズの採用をルール化、実施される。
ニッタク3代目社長に北岡功(きたおかいさお)が就任。
全日本選手権(平成12年度大会・2001年1月開催)で、40ミリサイズのボールが初めて採用される。
日本で5回目の世界選手権「第46回世界選手権 大阪大会」が開催され、40ミリサイズのボール初採用の国際大会となる。
9月1日以降のITTF主催大会で、21点制から11点制に、サービスが5本交代から2本交代にルール変更。
ラージボール卓球の活発化に伴い、全日本軟式選手権が平成13年度の旭川大会をもって廃止となる。
JTTAホープスナショナルチーム発足。
JTTA小学生トップ選手と指導者を対象に研修合宿を開始する。2008年世界選手権で29年ぶりの男女団体メダル獲得に始まる、以後の日本代表の国際競技力向上に大きく貢献する事業として、2019年現在も継続中。
物流センターを本社から茨城県古河市へ移転。
ニッタク3スター球が「第46回世界選手権 大阪大会」使用球に選ばれる。
ラバー「キョウヒョウ2・3」を発売する。
ラバー「ハモンド」を発売する。
卓球ボール製造工場を、東京都荒川区から茨城県古河市へ一部移転。
卓球台「ウィングDX・BF」を発売する。
卓球フェンス「マグかるフェンス」を発売する。
卓球ボール製造工場を、東京都荒川区から茨城県古河市へ全て移転。
ラケット「バイオリン」を発売する。
ニッタク3スター球が「第47回世界選手権 ドーハ大会」使用球に選ばれる。
ラケット「アコースティック」を発売する。
ニッタク3スター球が「第48回世界選手権 上海大会」使用球に選ばれる。
ニッタク3スター球が「ヨーロッパ選手権 ベオグラード大会」使用球に選ばれる。
本社を台東区上野池之端七軒町から千代田区神田和泉町へ移転。
JOCエリートアカデミーを実施スタート。
日本で6回目の世界選手権「第50回世界選手権 横浜大会」が開催される。
JTTA平成21年度登録人口が30万人を超える。
ニッタク3スター球が「ワールドチームカップ ドバイ大会」使用球に選ばれる。
ラバー「ファスタークG-1」を発売する。
ニッタク3スター球が「ワールドチームカップ マグデブルグ大会」使用球に選ばれる。
ニッタク3スター球が「ヨーロッパ選手権 グダニスク大会」使用球に選ばれる。
4月1日、JTTA公益財団法人化。
「第30回オリンピック ロンドン大会」で、日本卓球五輪史上初のメダル獲得(女子団体で銀メダル)
ニッタク3スター球が「第30回オリンピック ロンドン大会」使用球に選ばれる。
ニッタク3スター球が「ヨーロッパ選手権 デンマーク大会」使用球に選ばれる。
月刊卓球雑誌「ニッタクニュース」が創刊以来第700号を迎える(2月号)
プラスチック製ラージボール「ラージボール44プラ 3スター」がJTTAの公認を取得(8月19日)、発売(12月15日)
ITTFニッタクドリームプロジェクトの一環として、エルサルバドルプロジェクトに参加。2019年現在も継続中。
ニッタク3スター球が「ワールドチームクラシック 広州大会」使用球に選ばれる。
ニッタク3スター球が「ヨーロッパ選手権 オーストリア大会」使用球に選ばれる。
ラケット「剛力」を発売する。
ITTF7代目会長にトーマス・ヴァイカート(ドイツ)が就任。
日本で7回目の世界選手権「第52回世界選手権 東京大会」が開催される。
7月1日以降のITTF主催大会使用球が全てプラスチック製(非セルロイド)となる。
プラスチック製 硬式球「プラ3スター プレミアム」がITTFから3月25日、JTTAから4月17日に公認を取得する。
ニッタク3スター球が「ヨーロッパ選手権 リスボン大会」使用球に選ばれる。
ニッタク3スター球が「全米国内選手権 ラスベガス大会」使用球に選ばれる。
4月6日を「卓球の日」に制定、卓球を通して世界で一つにつながろうプロジェクトを立ち上げる。
ニッタク3スター球が「女子ワールドカップ 仙台大会」使用球に選ばれる。
ニッタク3スター球が「ワールドチームカップ ドバイ大会」使用球に選ばれる。
ニッタク3スター球が「アジアカップ ジャイプール大会」使用球に選ばれる。
ニッタク3スター球が「アジアベテラン大会 ホーチミン市大会」使用球に選ばれる。
ニッタク3スター球が「ヨーロッパ選手権 ロシア大会」使用球に選ばれる。
ITTF加盟協会が222となり、世界の各種目スポーツ団体(IF)の中で最多、1位となる。
ニッタク3スター球が「東京選手権」使用球に選ばれる。
ニッタク3スター球が「ヨーロッパ選手権 ブダペスト」使用球に選ばれる。
「第31回オリンピック リオデジャネイロ大会」で、日本卓球五輪史上初の男子メダル獲得(団体銀メダル、単銅メダル/水谷隼)
設立70周年を迎える(7月15日)
卓球ボール製造工場「NECO'S(ネコス)」完成。環境・エコへの取り組みを強化。
ニッタク3スター球が「東京選手権」使用球に選ばれる。
ニッタク3スター球が「アジア選手権 無錫大会」使用球に選ばれる。
ニッタク3スター球が「世界選手権 デュッセルドルフ大会」使用球に選ばれる。
ニッタク3スター球が「ヨーロッパ選手権 ルクセンブルク大会」使用球に選ばれる。
ニッタク3スター球が「ユニバーシアード」使用球に選ばれる。
ニッタク3スター球が「東南アジア競技大会 クアラルンプール大会」使用球に選ばれる。
ニッタク3スター球が「USオープン」使用球に選ばれる。
1月9日、卓球専門テレビレギュラー番組「卓球ジャパン」第1オンエア(BSジャパン=現BSテレ東)
ITTFニッタクドリームプロジェクトの一環として、シリア難民キャンプ卓球支援(ヨルダン)に参加。2020年現在も継続中。
ニッタク3スター球が「天皇杯・皇后杯 平成29年度全日本卓球選手権大会(一般・ジュニアの部)」使用球に選ばれる。
ニッタク3スター球が「東京選手権」使用球に選ばれる。
ニッタク3スター球が「ヨーロッパ選手権 アリカンテ大会」使用球に選ばれる。
3月1日、ITTF卓球博物館が中国上海市にオープン。
10月24日、Tリーグが国技館に観客5624人を集めて開幕。
ニッタク3スター球が「天皇杯・皇后杯 平成30年度全日本卓球選手権大会(一般・ジュニアの部/大阪)」使用球に選ばれる。
ニッタク3スター球が「東京選手権」使用球に選ばれる。
ニッタク3スター球が「ヨーロッパ選手権 ナント大会」使用球に選ばれる。
ニッタク3スター球が「女子ワールドカップ 成都大会」使用球に選ばれる。
ニッタク3スター球が「アジア選手権 ジョグジャカルタ大会」使用球に選ばれる。
創業100 周年を迎える。
「T リーグ2020-2021」女子使用球・女子オフィシャルサプライヤーを務める。
ニッタク3スター球が「ヨーロッパ選手権(ポーランド大会)」使用球に選ばれる。
業界初!抗菌ボール「 Jトップクリーントレ球」を発売。
ニッタク3スター球が「ヨーロッパ選手権(ルーマニア大会)」使用球に選ばれる。
「T リーグ2021-2022」女子使用球・女子オフィシャルサプライヤーを務める。
1年延期となって開催された第32回オリンピック東京大会」で、日本勢初の金メダルを獲得(混合複/水谷隼・伊藤美誠)
「J トップクリーントレ球」が抗ウイルス・抗菌仕様にリニューアル。
「安全・安心な環境」実現を目指し、抗ウイルス・抗菌加工製品のラインナップ強化に努める。
抗ウイルス・抗菌のラージボール公認球「ラージ3スタークリーン」を発売。
ITTF 加盟協会が227となる。世界の各競技団体(IF)の中で最多1位。
ニッタク3スター球が「天皇杯・皇后杯2022 年全日本選手権大会(一般・ジュニアの部)」で使用球に選ばれる。
抗ウイルス・抗菌仕様の国際公認球「3スタープレミアムクリーン」を発売。