TOPICS

ALL TOPICS

2022.05.31

#INFO

「卓球を通じて人間関係が広がった」日本の肖像 河田正也(2014年6月号から)

ニッタクニュースの人気コーナー「日本の肖像」から編集部がピックアップしてお届けします。

日本の肖像とは、各界でご活躍されている卓球人にご登場いただき、卓球を通じて学んだこと、その経験を生かした成功への道を語っていただくコーナーです。

第8回は2014年6月号より、河田正也さんです。

※所属・年齢・事実は掲載当時のまま

 

文■細谷正勝

写真■沼田一十三

 

日清紡ホールディングス株式会社代表取締役社長

河田 正也

 

今月は一橋大卓球部OBの河田正也さんをゲストにお迎えした。大学に入ってから卓球を始めたが、周囲のサポートを得て4年間やりとげた。「私のレベルで記事になるのでしょうか」と謙遜されたが、青春時代に卓球を目いっぱい楽しんだ様子が言葉の端々からうかがえた。

 

華やかな社交ダンス部。隣りで汗まみれの卓球部

もう40年以上経ってはいるが、当時のクラブ活動の様子を事細かに語られた。主に3年次はマネージャーとしてみんなを支える側に回ったが、このときの経験が社会に出てから大いに役立ったという。当時お世話になった人や同期の名前がポンポン飛び出し、楽しげに話す河田さん。卓球のことが大好きで仕方がないといった様子が感じられた。

「当時の体育館は実に古く、仕切られた練習場に卓球台が2台ありました。平日はほぼ毎日練習でしたが、和やかな一面もありました。当時はハードコンタクトレンズが流行って、練習中に誰かの目から外れ落ちると一時中断。全員で床を探したものです。また某先輩がスマッシュを打って踏み込んだ床板が抜けてしまったことも」

隣りの広いスペースでは社交ダンス部が、津田塾大生たちと華麗に踊っていた。狭いスペースで汗まみれの自分たちとは別世界の出来事で、うらやましい思いもあったそうだ。

「大学から卓球を始めたのは、何か運動をと思い立ったからです。と言いながら、それほどきつくないだろうと思い違いをして、卓球部を選びました」

 

初心者だてらに卓球部入門。2年後半からマネージャーに

1952年(昭27)4月20日、山口県下関市生まれ。中学、高校では吹奏楽部でクラリネットを吹いた。

大学の卓球部に初心者が入るのは珍しく、同級生約10人のほとんどが経験者。入部と同じ時期に8年上の山崎康徳さんがコーチに就任し、分け隔てなく目配りし、指導してくれた。苦楽をともにしてくれた山崎さん抜きには、河田さんたちの卓球部時代は語れない。公認会計士になるため会社を辞め大学に戻った人だったが、以降、公認会計士になる卓球部出身者が増えたそうだ。

「2年の終りからマネージャーに。OB幹事の熊谷隆平さんには何かと教わりました。OBの勤務先や住居を訪ねて、年会費集金にまわり、いつも歓迎されるわけでないですが、昼食時に誘ってもらうこともよくありました。いろいろな方にお目にかかり、周囲への気配りの大切さも学びました」

東洋水産の役員だった田口先輩から、みんなで食べなさいと箱一杯のインスタントラーメンをもらって帰った懐かしい思い出も。

卓球のスタイルはペンの裏ソフトで前陣速攻型。3、5球目で勝負をかけた。関東リーグ戦には1度だけ出場し、相手のエース級と対戦。一方的に負ける雰囲気だったが、1ゲーム目の序盤は接戦、しかし実力を見抜かれてしまうと、あとは10本も取れずにストレートで敗れた。対外試合では何といっても、後の主将で同級生の蔦市喜一君の活躍が新入生のときから目覚ましかったと昨日のことのように語った。

「近代経済学が主流の経済学部に入りました。金融・商社関係に就職する人がほとんどですが、会社訪間で会った人の印象が良くて日清紡に入りました。メーカーに就職するのは珍しかったですね」

入社した75年当時は売り上げの8~9割が繊維関係だった日清紡は多角化により、現在は「環境・エネルギーカンパニー」を標榜し、「無線・エレクトロニクス」「車載・機器」「生活・素材」「新エネルギー・スマート社会」を主な事業領域として躍進している。

 

スポーツ交流で社内融和。卓球で人間関係に広がり

「5年間繊維の営業を経験した後は人事・総務畑が長く、工場の労務管理も担当しました。以前は各工場で女子卓球部が卓球台を何台も並べ練習をしていました。西新井の工場勤務時代(98~00)は熱心なリーダー役がいて、男子の愛好家仲間で練習しました。足立区の大会にも参加していました」

元々はスポーツ交流を通じて社内融和を図ろうとスポーツが盛んで、女子卓球部は実業団リーグにも参加して活躍していた。本社勤務になってから、近くの浜町体育館に愛好家で週1回集まった。ある時、基本に返って1000本ラリー達成を目標とした。女子卓球部時代の主将が相手役を買ってくれ、毎週目標に挑むが、いつも河田さんのミスで未達。それでも3か月後、ついに1008回、ここでも河田さんのミスだが目標は達成した。感謝すべき師匠で、今もママさん選手で活躍しているそうだ。

「卓球をやって良かったのは、人間関係が広がったことです。実力は別にして、それなりに楽しめます。スポーツ経験者は考えて行動するのでメンタリティーの面でもプラスになると思っています」

06年に執行役員、07年取締役執行役員、10年取締役常務執行役員、12年取締役専務執行役員、13年に代表取締役社長に就任した。一橋大卓球部OBの同社社長就任は鵜澤会長に続いて連続。これも珍しい。二人羽織の犬が温泉卓球を楽しむ同社のCMは実にユニークでセンセーショナルだが、これも卓球つながりによるものか。

「約2年間卓球から遠ざかっていて、テレビで見る程度です。昨年お取引先のミキハウス・平野早矢香選手とお会いする機会があって、すっかりファンになりました」

卓球練習の機会も減ってきたころジョギングを始め、5~6年前から年に1、2回フルマラソンに挑戦、好調時は4時間台の前半で走る。趣味は美術とコンサート鑑賞。ゆっくり時間が取れれば旅行に行きたい、もちろん卓球も、と話した。