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2022.01.21

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「卓球のために少しでも役に立ちたい」日本の肖像 持田和男(2020年2月号から)

ニッタクニュースの人気コーナー「日本の肖像」から編集部がピックアップしてお届けします。

日本の肖像とは、各界でご活躍されている卓球人にご登場いただき、卓球を通じて学んだこと、その経験を生かした成功への道を語っていただくコーナーです。

第1回は2020年2月号より、持田和男さんです。

※所属・年齢・事実は掲載当時のまま

 

文■石川守延

監修■沼田一十三

写真■安部俊太郎

 

東京海上日動調査サービス株式会社 代表取締役社長

持田 和男(もちだ かずお)

 

中学で卓球部に入部、朝も放課後も毎日練習に励んだ。高校では一転、受験勉強に注力。一橋大学入学後に卓球を再開すると、本格的カットマンを目指した。就職活動に際して「リーディングカンパニーに行くべし!」と、卓球部の同期に励まされて東京海上火災の門を叩いた。仕事の傍ら、常に卓球との縁を絶やさなかった。一橋大学卓球部OB会会長を務める今も、卓球を通して出会った人たちとの交流を大切に楽しんでいる。

 

小学校で目の当たりにした国体。中学では日本式ペンドライブマン

1956(昭和31)年、埼玉県花園村(現・深谷市)生まれ。小学6年のとき、母校の村立花園小学校体育館が国体卓球競技の会場になった。卓球をかじっていたこともある父に連れられて観戦に行き、手当たり次第に出場選手からサインをもらった思い出がある。球技が得意で、学校代表のソフトボールチームにピッチャーで選ばれたこともあった。スピードと緩急差で相手を翻弄するのが好きだったが、肩が弱く、オーバースローは大の苦手だった。

村立花園中学校では、軟式テニス部に体験入部をしたが、小柄な体型がハンデになると感じ、正式入部は断念。戦略性が重んじられる「球技」をどうしてもやりたかった。野球、バスケ、バレーボール部も選択肢から除外、卓球が残った。同級男子が8人。一球でも多く打ちたいと、テスト期間や正月3が日以外は、朝も放課後も毎日練習に励んだ。当時の典型・日本式ペンホルダーのドライブマン。ループドライブを駆使して熊谷市の強豪カットマンを破ったこともある。3年次、県大会ダブルスでベスト8、団体戦3位という成績を残した。

進学校の熊谷高校に進み、卓球部に入部したが、一学期の学業成績がクラス47人中45番に。「これではダメだ。卓球をやめて、勉強しよう」。担任の先生に相談をしたところ、「部活を辞めて成績が上がった生徒を、一度も見たことがない」と言われ、負けん気に火がついた。必死に勉強をし、二学期末には2番に。以降は、勉学に注力した。妹や弟も卓球をしていたので、「卓球を懐かしむ気持ちがなくはなかったが、無理やり考えないようにしていたようにも思う」

 

大学で卓球を再開して練習に励む。「勝負強い選手」としてチームに貢献

一橋大学に進学し、「失われた人間性を取り戻す」べく、卓球を再開。卓球部は4〜5部を行き来するレベルで、練習に来ない部員も多い中、同級生の泉伸幸さんと熱心に練習した。泉さんとは、今でも年に3〜4回は飲みに行く。大学からは本格的カットマンを目指し、1年上のドライブマン板坂克則さんとは、よく打ち合った。2年次に、全国国公立大学大会予選リーグで三重大学の格上選手と対戦。1ゲームを先取された後、14-20から奇跡の大逆転劇を演じて「勝負強い選手」というイメージがつき、その後レギュラーに選ばれるのが当たり前になった。3年次には、板坂さんとのダブルスで、関東学連会長杯争奪卓球大会のBブロックで準優勝。4年次を前にキャプテンを打診されたが、サポート役が向いていると感じて固辞、サブキャプテンを引き受けた。前途洋々で、最終学年を迎えるはずだった。

 

板坂先輩と練習した現役の日々がよみがえる

 

カットの感覚が戻らなくなり、不完全燃焼だった大学4年次

長い春休みを終えて練習を再開してみると、何度試しても、バックカットのタイミングがつかめない。過去にも同様の経験はあったが、今回はまったく戻らない「イップス」の症状だ。得意のカットが使えず、残された試合は「ごまかしの卓球」に徹する不完全燃焼で、もどかしい日々を過ごした。今考えると、「ドライブマンとしていい練習相手になってくれた板坂さんが卒業してしまったのが、原因かもしれない」

 

卓球を続けていたからこその人生の栄養剤を授かる出会い

会社訪問前日の飲み会で「リーディングカンパニーに行くべし!」という同期卓球部の強い勧告を受けて東京海上火災保険株式会社に挑み、見事、狭き門をくぐった。転勤の先々でも卓球との縁は続いた。12年から卓球部部長に就任。近年、慶応大学卓球部のレギュラークラスが続々と入社して、活動が盛んになっている。年に1回、児童福祉施設の子どもたちを招いて開催する卓球教室では、施設の先生が「他に帰る場所がない卒業した子どもたちの心の故郷であり続けよう」とする姿勢に触れるたびに感銘を受けるという。

また、18年に一橋大卓球部OB会長に就任。河田正也さん(日清紡HD会長)、川嶋文信さん(故人・当時三井物産社長)という両先輩の絶対命令で引き受けざるを得なかったのだが、おかげで現役学生の関東学生リーグ戦の応援、OB会開催を通じて「そのたびごとに人生の栄養剤を授かり、卓球を続けていてよかったとつくづく思う」

東京海上日動火災保険は、東京2020オリンピック・パラリンピックのゴールドパートナーとして、特にパラリンピックの支援に力を入れている。「ただのブームとして終わらぬよう、人生を豊かにしてくれる卓球のためにも、少しでも役に立ちたい」と目を輝かせた。