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2020.09.25

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【世界選手権おもしろ史13】「東京大会で日本に空前の卓球ブーム!?田坂清子が7連覇を阻止」 (2009年5月号から)

  • 団体3連覇と単優勝で日本に卓球ブームを起こした最大の功労者・荻村伊智朗。後の国際卓連会長

  • 2度目の世界1となった荻村伊智朗(左)と、高熱にもかかわらず2年連続決勝進出の田中利明が握手

  • 7連覇まちがいなし、と言われ日本選手に負け知らずだったロゼアヌを、田坂清子が破り大金星

昭和22年創刊、800号を迎えたニッタクニュースのバックナンバーから編集部がピックアップしてお届けするページです。


 

2009年5月号世界選手権横浜大会開催記念号から、故・藤井基男氏・著の「世界選手権おもしろ史」をお届けします!
※ここに紹介の記事は、原文を一部抜粋、編集しています。敬称略

 

QアンドAとエピソードでつづる世界選手権おもしろ史

 

第23回大会1956(昭和31)年4月2-11日 東京(日本)

東京大会で日本に空前の卓球ブーム。なぜ?

日本4冠と逆転、大金星など続く

――東京大会のとき、日本に卓球ブームが起きたと聞くけど、具体的にはどんな具合だったの?

……連日、会場の東京体育館に大勢のファンが入場したこと。東京都内の卓球ホールが、20店から100店にふえたこと。卓球メーカーは、ボールやラケットの注文が多くて、残業つづきで製造しても間に合わない状態が起こったこと、など。また、「50万とも100万ともいわれていたプレーヤーの数は、一躍して300万と改称しなければならなくなった」と『卓球マンスリー』7・8月合併号で紹介されている(著者は田舛彦介タマス社長)。

――卓球ブームが起きた原因は?

……次のような条件がそろったからと考えられる。

 ①荻村伊智朗・田中利明の二大スターが健在で期待どおりの活躍をしたこと。

  男子団体で3連覇をとげ、男子シングルスではこの両者で決勝を戦っている。

 ②日本が強い。つぎつぎに勝って応援のしがいがあったこと。

  7種目すべてに入賞し、4種目に優勝している。

 ③日本選手による奇跡的な勝利があったこと。

  田中利明がガントナー(ルーマニア)に最終ゲーム14-20から逆転して、日本の男子団体3連覇に貢献した。また、日本の誰もが勝てず7連覇間違いなしといわれたロゼアヌ(ルーマニア)を32歳で全日本8位の田坂清子が21-19、22-20、32-30という大変なスコアで場内大興奮のうちに勝利をおさめた。(女子単2回戦)

 ④新聞の扱いが大きく、日本選手の活躍ぶりを連日、大きく報道したこと。

――日本の財界を代表する日本商工会議所会頭の足立正・日本卓球協会会長が英語で開会式の挨拶をしたこと。現天皇陛下の皇太子殿下が来場されたこと。若き日にバレエを習ったというロゼアヌが、バレリーナのような美しい動作で観客を魅了したこと。など、いろいろ思い出させれるね。〔主催:国際卓球連盟、主管:日本卓球協会・東京都、後援:毎日新聞社〕

 

●こぼれ話

ロゼアヌと田坂の回顧談

 ロゼアヌ「団体決勝の翌日にシングルスが始まった。私はよく眠れなかった。多分、前日の激しい戦いのせいと思う。私は田坂清子に敗れ過去6年間に初めて2回戦の敗者として競技場を去らなければならなかった」

 田坂清子「第1セット、打つだけでは駄目なのでツッツキで粘って攻撃をかけ21-19。第2セットはゆさぶり作戦で22-20。予想外のなりゆきに大観衆が総立ち。他の10数台の選手、審判員も試合を中断して注目した。第3セットは31-30から…必殺のスマッシュを送った。…夢のような勝利だった」(名球界発行『「世界で活躍した時代」と今』)

 


藤井基男(卓球史研究家)

1956年世界選手権東京大会混合複3位。引退後は、日本卓球協会専務理事を務めるなど、卓球界に大きく貢献。また、卓球ジャーナリストとして、多くの著書を執筆し、世に送り出した。特に卓球史について造詣が深かった。ニッタクニュースにおいて「夜明けのコーヒー」「この人のこの言葉」を連載。

本コーナーは藤井氏から「横浜の世界選手権に向けて、過去の世界選手権をもう一度書き直したい」と本誌編集部に企画の依頼をいただいた。執筆・発行の14日後、2009年4月24日逝去