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2020.06.05

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【世界選手権おもしろ史04】同じ年に世界チャンピオンがふたり?(2009年5月号から)

  • 模範試合?いえいえ、これが世界選手権のメドニアンスキー(右)対シポスの決勝戦です

昭和22年創刊、800号を迎えたニッタクニュースのバックナンバーから編集部がピックアップしてお届けするページです。


2009年5月号世界選手権横浜大会開催記念号から、故・藤井基男氏・著の「世界選手権おもしろ史」をお届けします!
※ここに紹介の記事は、原文を一部抜粋、編集しています。敬称略

 

QアンドAとエピソードでつづる世界選手権おもしろ史

 

第7回1933(昭和8)年1月23~2月5日 バーデン(オーストリア)

第8回1933(昭和8)年12月2~10日 パリ(フランス)

Q 同じ年にふたりの世界チャンピオンが出た?

――第7回大会がバーデン(オーストリア)で、第8回大会がパリ(フランス)で開かれているね。同じ年に二度世界選手権が行われたのは、どういうこと?

A 欧州の卓球シーズンは秋に始まるから

……当時のヨーロッパでは、卓球シーズンが秋に始まり、翌年の春に終わるという習わしであった。9月から4月ごろまでが1シーズンだった。これによると、第7回大会は32年の秋から始まるシーズンに入り、国際卓球連盟は32/33シーズンとも表示している。第8回大会は、33/34シーズンとなる。同じ1933年の開催であるが、異なる年度の大会ということになる。

――それでバルナ(ハンガリー)が同じ年に二度世界チャンピオンになったり、女子ではふたりの世界チャンピオンが誕生しているわけだね。

 

こぼれ話

日本の卓球が暗くなった?

 大正10(1921)年に日本で初めて全国的な卓球協会ができ、日本卓球ルールもできた。コートの色は「目を疲れさせないため」濃緑色と定められた。昭和8(1933)年にいたって「暗緑色」に変更。この頃から、日本の卓球台は暗いイメージのものになった。国際ルールが「濃色」の意味でダーク・カラー(dark color)と使っているのを「暗色」と受け止め、暗緑色にしたもの。平成1(1989)年になって誤りに気がつき、国内ルールを変更、現在では明るい色のブルーやグリーンの卓球台が使われるようになり、服装のカラー化と相まって卓球が明るくなった。

 

各種目の優勝

第7回大会

男子団体:ハンガリー

女子団体:なし

男子シングルス:バルナ(ハンガリー)

女子シングルス:シポス(ハンガリー)

男子ダブルス:バルナ・グランクス(ハンガリー)

女子ダブルス:メドニアンスキー/シポス(ハンガリー)

混合ダブルス:ケレン/メドニアンスキー(ハンガリー)

 

第8回大会

男子団体:ハンガリー

女子団体:ドイツ

男子シングルス:バルナ(ハンガリー)

女子シングルス:ケトネロワ(チェコスロバキア)

男子ダブルス:バルナ/サバドス(ハンガリー)

女子ダブルス:メドニアンスキー/シポス(ハンガリー)

混合ダブルス:サバドス/メドニアンスキー(ハンガリー)

 


(著者プロフィール)

藤井基男(卓球史研究家)

1956年世界選手権東京大会混合複3位。引退後は、日本卓球協会専務理事を務めるなど、卓球界に大きく貢献。また、卓球ジャーナリストとして、多くの著書を執筆し、世に送り出した。特に卓球史について造詣が深かった。ニッタクニュースにおいて「夜明けのコーヒー」「この人のこの言葉」を連載。

本コーナーは藤井氏から「横浜の世界選手権に向けて、過去の世界選手権をもう一度書き直したい」と本誌編集部に企画の依頼をいただいた。

執筆・発行の14日後、2009年4月24日逝去