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2020.10.05

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【世界選手権おもしろ史14後編】「“新兵器”裏ソフトラバーで大成功した田中利明の強さとは?」 (2009年5月号から)

  • ニューラバー裏ソフトによる最初の世界チャンピオン田中利明。日大の先輩・荻村とは決勝で1勝1敗

昭和22年創刊、800号を迎えたニッタクニュースのバックナンバーから編集部がピックアップしてお届けするページです。


 

2009年5月号世界選手権横浜大会開催記念号から、故・藤井基男氏・著の「世界選手権おもしろ史」をお届けします!
※ここに紹介の記事は、原文を一部抜粋、編集しています。敬称略

 

QアンドAとエピソードでつづる世界選手権おもしろ史

 

第24回大会1957(昭和32)年3月7-15日 ストックホルム(スウェーデン)

“新兵器”(ニューラバー)に転向しても成功しなかった人が多い中で、スポンジの佐藤・荻村につづき裏ソフトの田中が大成功したワケは?

前編では大成功した要因の一つとして、用具と自分の特徴を生かしたことを紹介

――田中利明は、団体戦も全勝しているね。

……荻村伊智朗は、粒ラバー時代は国体の東京予選にも落ちるほど特徴のない、パッとしない卓球をやっていた。スポンジに転向後、世界1早い快速サービスをマスター。それと“熱いトタン屋根の上を走る猫”と形容された俊敏なフットワークを身につけ、三球目を中心とするスマッシュで得点するスタイルに変えて、54年大会を皮切りに大成功をおさめた。

 こうした三球目攻撃の一方では、世界代表合宿で「カット打ち千本ラリー」の課題を初日のしょっぱなのラリーでクリアするほどの粘りも身につけた。

 田中利明は、裏ソフトラバーの「よく切れる」「強力な前進回転球が打てる」特徴を生かした。裏ソフトに転向後はよく切れる変化サービスをマスターし、三球目の強力なスマッシュで世界1となった。田中の変化サービスは、ときどきイレギュラーバウンドすると言われるほど、すごいものであった。また相手に押しこまれると、強力な前進回転のかかったロビングでしのぎ、そこから前進して逆襲という新しい戦法もあみだした。

(余談)

 スポンジは50・51年頃(昭和25・26)に、裏ソフトラバーは53年に、共に日本で開発された。これらのニューラバーは、“特殊ラバー”と呼ばれた。

 

●こぼれ話

荻村と田中、どちらが強かったか

 50年代のヒーロー荻村伊智朗と田中利明。共に二度ずつ世界チャンピオンになっており、決勝では1勝1敗だった。

 いったいどちらが強かったか。共に世界選手権に出た55~57年の世界選手権〈団体とシングルス〉の成績では、勝ち数・勝率ともわずかに荻村が上回る。当時の日本の強敵は、ヨーロッパのカットマンまたはカットと攻撃を併用する人たちであった。つまり、「カットに対しては荻村が上」であったことを示す。

 では、相手が攻撃型の場合はどうか。当時の全日本選手権では、攻撃型の優秀選手が多かったが、田中が54~56(昭和29~31)年に3連覇を成しとげている。荻村の全日本1回の優勝を上回る。「攻撃型に対しては田中が上」であったことを示す。

 私(カットマン)は、荻村に2戦2敗で、田中には国体決勝で勝っている(合宿でも勝ち越している)。“データと筆者の対戦経験”から、相手がカットマンなら荻村のほうが強く、相手が攻撃型なら田中のほうが強かった――と言える。

 


藤井基男(卓球史研究家)

1956年世界選手権東京大会混合複3位。引退後は、日本卓球協会専務理事を務めるなど、卓球界に大きく貢献。また、卓球ジャーナリストとして、多くの著書を執筆し、世に送り出した。特に卓球史について造詣が深かった。ニッタクニュースにおいて「夜明けのコーヒー」「この人のこの言葉」を連載。

本コーナーは藤井氏から「横浜の世界選手権に向けて、過去の世界選手権をもう一度書き直したい」と本誌編集部に企画の依頼をいただいた。執筆・発行の14日後、2009年4月24日逝去