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物事にはすべて「はじまり」がある----

もしそうだとしたら、今年の全日本選手権で、自身初のベスト8に入賞した佐藤素子(サンリツ)の、アスリートとしての真の「スタート」は、そのわずか5ヶ月前だったということができる。
シェーク両ハンドのプレーが全盛の時代にあって、ペンのサウスポーから繰り広げられる佐藤の全日本の快進撃は、逆に新鮮な驚きだった。目を見張ったファンも多いのではなかろうか。しかし....
2005年、夏。
佐藤はもがき、そして、苦しんでいた。不調というものとも違う。砂上の楼閣を作るが如く、そこから這い上がることができずにいたのだ。苦痛だった。灼熱の暑さを感じる余裕すらないほどに。

「どん底にいました」

いまでこそ、底抜けに明るい笑顔でそう振り返ることができる。奈落の底のようにさえ思えた苦しみと、わずかな時間で「自己新記録」を達成した充実感。その天国と地獄ほどの雲泥の差は、いったいどこから生じるのか。この5ヶ月間に、何があったというのだろうか。

それは、目には見えぬ師弟の固い絆に、偽りのない確かな歩みを伴ったものだった。

「このままではいけない。環境を変えよう。そして全日本の表彰台に立とう」

昨年7月、佐藤はそう強く決心していた。

「中途半端な気がしたんです、自分の卓球が。せっかく続けてきた自分の卓球、どうしても全日本の表彰台に立ちたいと考えるようになっていました」という佐藤は、このまま中堅選手として終わることを良しとしなかったのだ。
「ですから、05年の7月にアスモを辞め新しいスタート切ったのです」(佐藤)

8月からは、高島規郎氏の指導を仰ぐことになった。これには伏線がある。
懊悩していた佐藤に、ある人物が高島氏を紹介したのだ。『卓球王国』の発行人、高橋和幸氏である。高橋氏が振り返る。

「選手の話を聞く機会は多いのですが、佐藤選手の熱意が本物であると思った私は心を動かされ、選手の力を引き出せる高島氏の元へ送り込んだのです」
 
高島氏は全日本チャンピオンに3度輝き、世界3位の実績を誇る名カットマンだった。
現在は近畿大学教授で、指導者としても松下浩二選手との二人三脚は周知のとおりだ。

05年8月から高島氏の指導を受け始めた佐藤。
毎月のように大阪へ通い、数日間、ミニ合宿のようにして薫陶を受け、その後はそれを母校の専大で実践していった。
昼間は『卓球王国』でアルバイト。不安定ではあったが、だからこそそこに佐藤の決意が読み取れる。
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