|
平野 美宇 (平野卓研) |
|
卓球一家であり学術一家 |
|
「オリンピック? んーっと、出たい....かなぁ...」
|
はにかみながらそう答えるのは、いまテレビなどマスコミで最も注目を集める“卓球選手”、5歳の平野美宇ちゃんだ。![]() 全国的な大会からローカルな試合までテレビ局のクルーが追いかけ、果ては練習会にまで取材が及ぶ。 たびたび放映されているからご存知の方も多いだろう。 ショートカットの髪に包まれた 小さな顔。 愛くるしいクリッとした目が、いつも微笑ましい素敵なフェイスを作り出す。 そうかと思えば、その目に光をたたえながら必死ボールを追いかける。 だが、やはりまだ幼稚園児、時おり甘えん坊の一面も垣間見せる。 キティーちゃんが大好きな普通の女の子なのだ。 そんな美宇ちゃん。 いったいどんな“卓球選手”なのか。 その素顔を探るべく、竣工間もない平野卓球センターを訪ねてみると.... 美しい山々の稜線に四方をいだかれ、見事に調和している山梨県・田富町。 ここに、卓球台を8台置いても十分な広さの平野卓球センターが完成した。 壁や床から、木の温もりが伝わってくる本格的な練習場だ。 20名近くの平野卓研のチビッコ選手が、楽しそうにボールを打ち合っている。 その中には、昨年の全日本バンビチャンピオンで、美宇ちゃんの従兄弟・村松雄斗君もいる。 日本一だけあって、さすがにボールさばきが抜群だ。 今後、さらなる飛躍が期待されている。 平野さんのご一家は、まさに卓球一家だ。 |
![]() |
| 祖父母の光昭さん、聖子さんご夫妻は以前から卓球に親しみ、特に光昭さんは国体の監督や役員などを歴任。 聖子さんも、クラブチームに所属している。 父・光正さんは筑波大学のキャプテン、そして1年生からエースとして腕を鳴らした。卓球一筋の学生時代で、昭和62年の全日本選手権では、優勝した糠塚重造選手に惜敗した。 筑波大学の同級生で、リーグ戦などで活躍していたのが母の真理子さんである。 そして、美宇ちゃんと妹の世和ちゃんまで続く3代の卓球一家なのである。生まれたばかりの亜子ちゃんは、まだラケットを握れないが... ところが平野ファミリーはまた、学術一家でもある。 祖父の光昭さんは、長らく大学で数学の教授だった。 父・光正さんは筑波大卒業後、宮崎医大に入り医学の道へ。いまは内科医として勤務している。 真理子さんもまた、中学・高校などで教鞭をとっていたのだ。 そんな環境の中、2000年4月14日、美宇ちゃんは誕生した。 家族全員、そして従兄弟たちも卓球をしていたため、ごく自然に卓球と触れ合っていった美宇ちゃん。 そのころには、自宅に卓球台も備わっていた。 真理子さんがふり返る。 「美宇にとっては、ブランコやすべり台などと同じように、卓球そして卓球のラケットがあり、楽しい遊び道具のひとつだったのだと思います。私たち夫婦は、美宇に少しでも早くラケットをとか、そればかりか、卓球をやらせようとも全く思っていなかったんです。でも、環境的に卓球が身近にありましたからね...」 |
|
(以下 本誌に続く)
|